予防医療のパラドクス(Preventive Paradox)
元コラムはこちらです。
医学や医療というネーミングは、聖域感というと聞こえは良いけど、医学部出るような頭よくて金持ちでフツーじゃない=異常な人の独占業務みたいに思われがちです。
一方で、「健康」はそんな異常者の専売特許ではなく、単純に「生き様」のようなものです。
健康の世界的権威であるWHOは1940年代からその憲章で、「自分の人生を好きになることが健康」(心陽訳)としています。
企業の健康経営施策にとって重要なのはPARの概念。
わずか1%の社員の満足度を50%あげる施策より、全社員の満足度を5%上げる施策のほうが、生産性には10倍の効果があることを覚えてください。
(1)でスクリーニングプロセスを設けてハイリスク戦略を選択するリスクとして、トレーニングを積んでいない素人が、カットオフポイントを設けたり、何かの事象で従業員をハイリスク群と通常群に分類して別の介入を行なったりするスタイルはかなり非常識で、科学的根拠(エビデンス)と妥当性(バリディティ)がないことはおろか、組織の正義(Organizational Justice)という企業の心臓が脅かされる姿勢だと指摘してきました。
予防医学と表現すると医療機関が行なうことのように感じられるかも知れませんが、予防医療と健康経営はこのシリーズの冒頭からお示ししているように同じものといってもおおげさではありません。
従業員という伸びしろの大きい、つまり投資価値の高い社内資源に対し、企業が資源を投資して存分に回収するという根本的な健康経営において、ポピュレーションアプローチという切り口のエビデンスとバリディティは、新しい時代の経営者にとって、必須の教養だといえそうです。
かつて、ジェフリー・ローズ先生の恩師であるピッカリング教授は、一見当たり前のことである「血圧は連続だ」ということを証明するために非常なる努力をされ、成功しました。
私自身が、残業そのものよりも残業格差(みんなで残業するよりも一人で残業するほうがディストレス→2020年から始まる300人以上の企業に義務づけられる平均残業時間の公表という政策に中止提言するために解析しました)が、そして上司から今、現在実際に受けているサポートそのものよりも、もしも困ったときにサポートしてもらえそうな企業全体に充満するサポーティブな雰囲気のほうが従業員のストレスを軽減する、という仮説を証明できた研究に対しても、ある尊敬する経営者から、「実感を科学的に証明した奇跡的な業績だ」と過分なお褒めの言葉をいただきました。
このような仮説は私が研究室だけにこもっていたら発想できませんでしたし、産業保健や医業の臨床だけをしていたら研究のデザインに至りませんでした。実際に周囲の研究者からは全く意味がわからない、検証する意義のない仮説として嘲笑されました。(ハーバード大学院の2教授は応援してくれました)
ことほどさように科学的エビデンスというものは容易ではありません。
しかしその困難を乗り越え、私たちの想像のつかないほど賢い人々が、私たちが生きるためのヒントを蓄積してくれています。
これをぜひ、利用しようではありませんか。
カットオフポイントの魔術
もう一度、脳卒中と血圧の関係に戻りますと、今度は脳卒中の発症ではなく、脳卒中発症後に救命されて生き延びる人と亡くなる人をみてみます。
やはりこの場合も生き延びる人も亡くなる人も発症のピークである血圧にほぼ一致します。
多少は亡くなる人のほうが高いのですが、分布の形は非常に似ています。
単純にこのグラフを読んでしまうと、脳卒中で一番生き残れるのは収縮期血圧が130mmHgくらいで、一番死亡するのは140mmHgくらいという結果になってしまいます。
これは間違いで、一定の血圧で区切ったときの死亡率、生存率を議論する必要があります。
この場合、死亡率が確実に高まる血圧は180mmHgで、発症しないためには1mmHgでも血圧が低いほうがいいという一方で、発症後の予後因子としてはかなり高い血圧が許容されることがわかります。
Population Attributable Risk (PAR)
Population Attributable Risk (PAR) は人口寄与危険度とか集団寄与危険割合とか意味がいっそうわからなくなる日本語で訳されることが多いのですが、我々産業保健家や一般の公衆衛生家が、ある集団に対する集団レベルの介入により、集団の健康の向上、あるいはパフォーマンスの向上という集団レベルの結果をゴールにする場合、その介入の対象となるリスクや介入方法について検討する際には、このPARの概念が重要になります。
PARは
①RR(Relative risk / Risk Ratio / リスク比)と
②リスク因子の発現率
という2つの要因によって決定します。
つまり
①どれくらい危険なのかということと
②その危険がどれくらい頻繁に起こるのかということで決まります。
わざわざ介入するのですから、特に経営者にその傾向がありますが「すごく悪いこと」に対してなたを振るいたいと思う気持ちはわかります。
一方で、「悪いとはわかっているけどその悪さの程度がさほどでもないもの」を対象にすると、なんとなくおもしろみが薄れるような気がするでしょう。
「おもしろみ」というのは健康経営の実践において、なによりも重要なキーワードの1つですから、本来、有効なプログラムに対しておもしろみという価値を設けるのは、御社の健康経営のBPO先を自認する我々がするべきことですが、どのようにおもしろみを設けていくのかを少しご紹介しましょう。
「おもしろみ」はLIFE・行動アーキテクトのモチベーション
たとえば一人50,000円の検査をして0.1%の発症率の治療可能な病気を発見するとします。その治療には8,000,000円かかります。治療をしなければ3年以内に必ず亡くなり、治療をすればこの病気は死因にはなりません。
非医療者の方々は医療に対して絶対的というか、幻想的というか、非常なる期待をしてくださっていて、医者や病院はどんな異常でも見つけることも治すこともできると信じて下さっていることが多いのですが、現実にはかなり偶然や幸運に頼って診断しますし、必ず効く治療なんてほぼないと言っても言いすぎではありません。
それは前回のコラムでもしつこく主張しました。
そんななか、8,000,000円払えば確実に治る致死的な病気があるとしたら、医者にとってもたいへんありがたく誇らしい状況ですが、これはあくまでも仮想的な例示です。8,000,000円は大金ですが、命の値段としては安すぎると感じるほどです。まあ、お買い得ですよね。
1,000人の社員に検査料50,000,000円と検査によるアブセンティーイズムコストを投じて8,000,000円で治療するべき1人(1人いるか、2人いるか、誰もいないかはわかりません;これも疫学のマジックで、たとえば日本で0.1%の発症率だからといって、1,000人の会社に確実に1人いる、1人しかいないわけではありません)を探し出し、見つけたら治療中のアブセンティーイズムおよびプレゼンティーイズムコストと医療費8,000,000円を投じて治療すると仮定します。
少なくともこのプロジェクトには実費として58,000,000円以上に加え、莫大なアブセンティーイズムがかかります。
全員の検査料金50,000,000円は福利厚生費として計上することに問題はありませんが、治療費の8,000,000円は現物支給になるでしょう。
8,000,000円は社員本人に負担させる手もありますから、その場合は少し節約できます。でも、社員本人が負担したくないと言ったら? ある社員は負担したのに、別の社員は拒否したら? 50,000,000円を投じるのですから、いろんな可能性を考慮しておかなくてはなりません。
たった1人いるかいないかの従業員の命を救うために58,000,000円を投じる経営者の姿勢は美しいものですが、0.1%の発現率の疾患スクリーニングに50,000円と聞いた社員は、給料を1,000円あげてもらうほうを望みませんか。
名ばかり健康経営にありがちな、経営者の自己満足、マスターベーションになっていませんか?
世の中にはもっと一般的な疾患がいくらでもあり、0.1%の疾患に対する不安で日々の生産性が下がってしまっている従業員はまれかもしれません。
1,000円の昇給分をタバコ代にしてしまう従業員もいるでしょうが、会社へのロイヤリティーが高まり、いっそう生産性を上げる社員もいるでしょう。
集団の塩分摂取に介入する
一方の例として、塩分摂取と高血圧の公衆衛生的研究の大家であるNancy R. Cook先生が1995年に試算した集団内全員の拡張期血圧(いわゆる「下」の血圧)を各2mmHgずつ下げた場合の効果を検証します。
Cook N R., et al., "Implications of small reductions in diastolic blood pressure for primary prevention". Arch Intern Med. 1995.
もともと高血圧の発症率が24%だった場合は、発症率が17%減って20%の発症率になります。
前段と同じ1,000人の会社なら、全社員の血圧を2mmHg下げると、もともと240人いた高血圧(拡張期血圧90mmHg以上)の従業員が200人に減ります。
心血管疾患リスクは6%低下し、TIA(一過性脳虚血発作)を含む脳卒中のリスクは15%下がります。
拡張期血圧が95mmHg以上の全員に降圧薬を投与するよりも、全員のわずか2mmHgの血圧を下げるほうが、心血管系疾患を減らすことになり、拡張期血圧90mmHg以上の国民にかかる医療費を84%節約できます。
脳卒中については95mmHg以上の全患者への降圧治療が叶える成果の93%、および90mmHg以上の治療による成果の69%を予防できます。
もちろん全員への介入とハイリスク群への医療を組み合わせると最高で、医療だけの場合の2~3倍の効果が望めます。
日本の労働者は法定健診で全員の血圧を測定しており、高血圧の従業員にしっかりと治療を促している企業もあるでしょうが、促された全員が治療するわけでもないのはまた事実です。実際には法定健診は受けるだけ、受けさせるだけ、結果で法定上の就業措置どころか治療勧奨は健保に任せきりという企業のほうが多いのも事実です。そしてこれは残念ではあっても法令違反ではありません。
治療を受けないハイリスク者を動かそうと努力するより、ポピュレーションの血圧を下げてしまうほうが効果は高く、しっかり治療している者にとっても有意義なのです。
また前回もお示ししましたように、INTERSALTの結果から、平均血圧の高い集団のほうが高血圧の発症率が高いことが明らかになっています。
一見、当たり前の様にも思えますがこれこそがエコロジカルな結果であり、すなわち、平均血圧を下げるということがヘルスプロモーションプログラムの目標や効果測定になるということのかなり科学的な示唆なのです。
社員の血圧を下げるよいアイデアは、社員食堂の食卓塩を含む調味料の「穴」の数を減らすすなんていう簡単なことでかないます。
むろんもう少し時間をかけて食堂の味付け、自動販売機のラインナップなどを減らしていくことも重要です。
もうひとつINTERSALTの結果を拝借すれば、1日1gの減塩で3年ほどで2mmHgの低下が実現すると試算できます。塩分1gはだいたいしょうゆ(醤油)小さじ一杯(ほんのひとつまみ)の量ですから、食堂の醤油差しの穴を縮めることで充分に実現が可能です。 醤油差しや食卓塩の穴を細工するのには一人50,000円はかかりません。 会社にとって従業員の健康およびパフォーマンスの最大化を得るためには、どちらのプログラムが適切なのか、医学的な視点、経理的な視点、恩恵を受ける社員の数という視点で考える必要があります。 心血管疾患と脳卒中は日本の死因の2位と3位、合わせて23.4%を占め、死に至らなくても高額の医療費とアブセンティーイズム、プレゼンティーイズムをもたらします。
もちろん、発症してしまった社員に対するケアの補助や就業との両立支援を行なうことも大事ですが、復職できない場合も多いです。
もちろん、治療可能なまれな病気を早期発見、治療できればなによりですが、企業が行なうのはあくまで経営ですから、他にもっとよいヘルスプロモーションプログラムがある以上、受益者が特定されるプログラムの優先順位を下げるのが得策でしょう。
もちろん前段の過程も予算のある企業にとってはまるっきり見当違いの策とは思いません。
このプログラムの問題点は確実な受益があるけれどその受益者の割合が非常に少ないことと、費用がかかりすぎることですが、0.1%とはいえ、社員の命を救うことで企業の受ける恩恵はあります。8,000,000円はおろか、58,000,000円であっても社員一人の命の価値と比較すれば、けっして高くはありません。
たとえば「腰痛予防」として1人1,000円の「コルセット」を配るという策はいかがですか?
コルセットは配るだけなのであまりアブセンティーイズムは大きくなく(コルセットを注文したり配ったりする従業員は必要です)1,000人の会社なら1,000,000円で済みます。
悪くないプログラムに思えますか?
この投資はどれだけのリターンをもたらすでしょうか?
残念ながらゼロです。
コルセットに腰痛予防の機能はありません。これはしっかりと科学的に証明されていることです。
エビデンスとバリディティが理解できている経営者は、このような真の愚策は取らないものです。
英国では科学者集団CASH(塩と健康に関する国民会議)の主導により10年越しの遠大な減塩計画を仕掛け、2003年から2011年までの8年間で1日当たりの塩分摂取量を15%減少し8.1gまで下げたことで心疾患と脳卒中による死亡者数を4割減らすことに成功し、年間約2,300億円以上の医療費を削減しました。
ナイショですが、CASHのみんなもイギリス人、パンが大好きなんです(>_<)
同じことを会社単位に行なう可能性は充分にあります。
塩分だけでなく、運動、減量、飲酒、職業性ディストレスなど、集団の特性に介入することで有害事象の発症率を下げ、集団に大きい影響を与え得る策は、ポピュレーションアプローチとして企業が選択するヘルスプロモーションプログラムの題材にたいへんふさわしいということができます。
平均血圧と高血圧の発症率と同じ関係が、平均BMIと肥満率、平均飲酒量とアルコール依存症率にはあります。
いわゆる医学研究は個人レベルの曝露や介入と個人レベルの結果を評価しますが、ポピュレーションアプローチを評価するためには集団レベルの曝露や介入を集団レベルで評価するエコロジカルスタディという視点が重要になります。
ポピュレーションアプローチは個人レベルで見ると、たとえば先ほどの血圧を2mmHg下げるというようにあまり派手なうまみはありません。高血圧の治療でクリニックを受診した際、2mmHgの降圧を目標として提示されたら、驚くのではないでしょうか。ポピュレーションアプローチのうまみはあくまでも集団レベルです。
だからこそ、職場で行なうのにふさわしいのです。個人として個人レベルでより健康になりたいという欲求のある健康オタクたちは、自ら個人レベルのヘルスプロモーションにアクセスできます。
そういう健康オタクの社員に対して手をさしのべてあげる必要はありません。
血圧の例でいえば、従業員をなんらかのカットオフ値でハイリスク群とローリスク群にわけたとしても、その分布は決して二峰性ではありません。
仮に二峰性の分布があり、リスクの大小と発現率が同じ分布を取るのならば、最も脳卒中を発症しやすい拡張期血圧90mmHg群のみにアプローチすることは意味がありますが、職域のヘルスプロモーションはあくまでも介入の効果を集団レベルの生産性で見る視点で行なうべきです。
それが企業の存在意義であり、経営そのものです。
たとえば、妊婦の喫煙が新生児死亡全体の10%に関与しているからといって、妊婦の禁煙を徹底することによって新生児死亡が10%減るとは言えないし、禁煙を促すのは望ましい方法ですが、喫煙している妊婦を選択的に高度医療機関で出産させるような政策が真の公衆衛生政策と言えないことは容易に想像がつくでしょう。
エコロジカルな評価による視点と臨床的な患者症例関係の評価による視点は、公衆衛生学と臨床医学と同様に全く異なるものです。特に日本の医療制度の中では、臨床医療の中でカットオフ値を議論しなければ全く機能しなくなり、だからといってそのロジックを公衆衛生、特に職場の健康経営に持ち込むのはナンセンスです。
繰り返しになりますが、ポピュレーションアプローチが職域にふさわしい理由は、組織の介入により組織が受益する点で、これは福利厚生の定義に一致し、企業が従業員を対象に経営の一環として資源を投じることとして最も理にかなっているからで、ポピュレーションアプローチが必ずしもハイリスク戦略に比較して安価であるとか、個人レベルでの効果が高いとかではありません。
ポピュレーションアプローチを選択した上で、より組織の特性に馴染み、解決効果が高く、コストイフェクティブであるメソドロジーを都度、具体的に構築する必要があります。
それを提案し、実現するのが、心陽のサービスです。
心陽のサービスは企業の個性に合わせて、企業の社会的使命を可能にする、ポピュレーションアプローチによる健康経営のビジネスプロセスアウトソーシングです。
ぜひ、ご用命ください。
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