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Yoko Ishida

43)はかるより、わかるより、かわること

 実際に職域でポピュレーションアプローチのHPPを行う際には、PARの計算やマルチレベル分析ができなくてもかまいません。解析や証明は、古今東西のとびきり賢い研究者達によって、既に済んでいるので、企業はそれをいいとこ取りして、得意なことで社会に貢献するほうが素敵です。


 従業員個人のレベルで、法定健診や法定ストレスチェックで、健康に関する測定を行う【はかる】こと、そしてそれを科学的エビデンスに基づき、わかりやすく魅力的な結果シートを用いて、課題ごとの解決策までを示して理解する【わかる】こと、それに従ってそれぞれに正しい健康好行動を選択することは、すごく重要で、理想的です。その理想に近づこうとして、サービス提供者も、需要者も、つい測定や解説の正確さを研ぎ澄ませることに注力してしまうことが多いようです。

 しかし、企業は医療機関ではありません。

そして、法定健診や法定ストレスチェックは検定試験ではありません。

法定健診やストレスチェックの目的は、医療的に標準範囲内の測定値を達成することが目的ではなく、正常であれ、異常であれ、まずは自分の結果を見つめて、自分にとっての健康好行動について考えて、優先順位の高いことや現実的でやりやすいこと、それなりに楽しめそうなことなど、できることから行っていくことで、じわじわと従業員のWRWBが高まることを狙っています。

はかっても、わかっても、変わらなければ意味がないことに注目しましょう。


たとえば、始業時と終業時の血圧を測定して【はかる】、至適血圧以上の従業員には塩分の少ないダイエットマニュアルを配布してリテラシーを高めて【わかる】、軽症高血圧以上の従業員には受診を勧奨【医療】というハイリスク戦略HPPは一見、なかなか、よさそうです。

しかし、あくまで勧奨するのは服薬ではなく受診です。本人が最大の好行動を発揮して受診しても、医療機関の対応によっては本人の血圧は下がらないことが大いにありえます。

1日に2回血圧を測定し、その結果で対応を振り分けるのには大きなコストがかかります。

意図的であれ、無意識であれ、食塩の摂取量が減れば、血圧は下がります。

それなら、企業は測ったり、勧奨したりする前に、黙って社員食堂の味付けに工夫してしまってはいかがでしょうか。その程度の降圧で不満だったら、すべての浄水器に前述の4剤カクテルを混ぜてしまえばいいでしょう。社内で水を飲んでも、コーヒーを飲んでも、従業員はどんどん健康になります。


こういうポピュレーションアプローチHPPを、本人の意思を介在させない、一方的な介入だとして、パターナリズムだと批判する声があります。

そうかもしれません。

法令と安全を守るためにシートベルトの着用を義務づけるのも、健康と安全を守るため機内を禁煙にするのも、パターナリズムといえばそうでしょう。

しかし、国家や企業という集団の健康と秩序を守る管理者としては、往々にして、パターナリズムを発揮すべきときがあります。それが、組織と従業員のためでも拒絶したいなら、従業員には組織の一員でなくなるという自由が与えられています。正しいパターナリズムの発揮を組織の正義と感じて、企業への信頼を増す従業員もいるのです。


 イジメの多い組織ではイジメの少ない組織に比べて、イジメに関わらない社員の心理的苦痛が高い傾向にあるというマルチレベル研究の結果を前述しましたが、このときも、たとえば、イジメに関する詳細な調査【はかる】を行ない、イジメをしている従業員にイジメをやめるように注意し、イジメを受けている従業員を慰め、イジメをできるだけ負担に感じないように促した【わかる】として、イジメをする側とされる側が素直に行動変容する【変わる】でしょうか。

 関係者が自覚しているとは限らないし、自覚があっても正直に調査に回答しにくい話題です。告げ口の報復も心配です。見つからなかったイジメは、むしろ助長されそうです。新たなイジメの発生への抑止力もありません。

 企業内のイジメをなくするのはよいアイデアですが、その方法には注意が必要です。

いじめに罰を与えるのは一つの方法ですが、バレなければよい、こういういじめ方ならバレない、そんなふうに監視をかいくぐるいじめを生んでしまうリスクがあります。いじめを絶対的に定義することはできず、疑わしいだけでは罰せません。


そこで、ノームの操作というアイデアがあります。

イジメってダサい、いじめたほうが面倒くさい、いじめないほうが楽、いじめないほうがかっこいいというノームを浸透させれば、イジメは減っていきます。


ある中学校で、貧しい生徒が、応援するスポーツチームのユニフォームを着用する校内のお祭りに、手作りの直筆イラストのTシャツで参加しました。高価な公式グッズを購入できないと相談された担任教諭のアイデアでした。応援する気持ちは誰にも負けない彼は、その提案に喜び、自作して、意気揚々と投稿します。先生に承認されたい期待、される自信で、輝いていたでしょう。もちろん、その姿を、担任教諭は誇らしく思いました。

ところが、何人かの少女たちは、指を指して手作りのTシャルをからかいました。

彼は傷つき、消沈しました。

担任教諭はそれを知って、少女たちを叱らず、当該チームのサポーターたちに、SNSで手作りTシャツの写真をシェアして、応援をよびかけました。その声は、とうとうチームに届き、学校には、大量の公式グッズが届けられました。

少女たちは少年をからかったことはすっかり忘れて、スペシャルグッズを手に取り狂喜し、少年のおかげと彼を褒めそやしました。

もし、教諭が少女たちを叱って、「もう、からかいません」とつまらない反省文を書かせても、少女たちの認知や行動に変容はなく、少年の心の傷は癒えません。

少女たちは、彼女たちなりの正直な価値観で、そのTシャツがダサいと思ったから、からかったのです。深刻なイジメのつもりなどなかったでしょう。

しかし、今や彼のイラストは、チームの公式デザインに格上げされました。彼はプロのデザイナーです。そうなれば同じTシャツが、少女たちにも俄然、クールに映ります。

この采配、このスピード、ステークホルダー全員がハッピーになる仕掛け、これが最高のHPPです。

警察のように犯人を取り締まっても、イジメは減りません。

この事実を共有した生徒たちは一生、いじめたほうがバカを見るリスクを胸に刻むでしょう。


しつこいようですが、HPP実施に、医療知識や医療資格、統計学的知識は不要です。

HPPは研究ではなくリアルなプログラム、さらにプログラムとして不完全でも認知や行動の変容という最終目的が得られればいいんです。

医師は病気や病弱など、標準から逸脱する異常を標準化するプロであってHPPは専門外、HPPの実務的な専門職は、まさしく企業経営者でしょう。

私はたまたま医師であり、企業経営者であり、企業経営者に組織と従業員の健康と生産性を説く専門家でもあります。そんな私が理想として憧れる大先輩の逸話で、長い文章を締めくくろうと思います。



ときは1854年のロンドン、世界最初のビジネス麻酔科医であり、疫学の父と称されるジョン・スノウは、特定の井戸の周囲に、コレラが集中発生していることに気付きます。

調査を進めると、井戸の近くに「居住している」人ではなく、井戸の「水を飲んだ」人がコレラにかかっていたことが分かりました。

井戸の近くに住んでいても井戸の水を飲んでいないコレラ罹患者の同居者は、コレラにかかっていませんでした。

その井戸はおいしい水が湧き出すと近隣でも評判で、井戸の水を汲むために、わざわざ遠方から訪れる人もいて、井戸から遠いエリアで発症していたのは、そんなグルメさんたちだったのです。彼らは手間をかけてもおいしい水が飲みたいほどの健康エリートですから、日常の衛生習慣はいかにもよさそうです。

コッホが微生物を観察するのは当時の約30年後、まだ「微生物による感染症」という概念は存在していません。

衛生習慣との関係どころか、道徳的に素行のよくない人をめがけて目には見えない「悪液質」が襲いかかり、それによってコレラになると本気で考えられていました。このオカルト的毒気のようなものが発生するのは非道徳的な人の存在によるとして、因縁をつけては魔女狩りをする社会的イジメが横行してもいました。

感染症という正解を知っているとバカげていますが、当時は医師も政治家も、名だたる賢い人たちが本気でそう信じていたのです。

スノウは綿密な聞き込みで情報を収集しましたが、もともと変人として通っていたので、聞き込み中も不審者扱いされていました。

「あの医者、どこの井戸の水を飲んでるかなんて聞いてきて、超気持ち悪い」とみんなが眉をひそめていたのです。

それでも黙々と、「明確に規定された人間集団」である「特定の井戸の水を飲んでいる集団」の中で出現する「健康関連の事象」である「激しい水様性下痢による脱水症状」の頻度と分布を緻密に観察していきました。

そう、疫学の定義そのものの観察調査を、今から170年近く前に、スノウは実践していたのです。

井戸の水を飲む(X)と致死的な下痢(Y)につながるという関係を確信した彼は、大声で叫びました。

「この井戸から水を飲むな!」

評判の水を飲むなと叫んで、スノウは完全に「炎上」し、大ブーイングを浴びました。

しかし正義のスノウは落ち込むどころか、嫌われようと馬鹿にされようと、井戸の水さえ飲まなきゃいいと考えて、いきなり、井戸の水をくみ上げるポンプの柄(え)(ハンドル)を折ったのです。


かっこよすぎる!


当然、再び激しく炎上したのですが、ポンプが操作できなければ井戸の水を飲むことはできません。パターナリズムどころの批判ではありませんでしたが、行動経済学的な介入でポピュレーションの行動を変容させたのです。

 井戸の水が飲めなくなった後、近隣エリアでのコレラの流行は止まったにもかかわらず、スノウはまったく評価されませんでした。全員が、頭のおかしい医者がよい井戸を壊したことと、コレラの流行とその鎮圧を、まったく別の事件として認識したのです。


スノウは他にも、異なる水道会社の配線を細かく調べて、一社の利用者にのみコレラの発症が集中し、他社の利用者には発症していないことをつきとめました。これも地図上に供給水道会社を詳細にプロットした上で、利用者に綿密な聞き込みを行なった結果判明したことです。GoogleフォームでWEBアンケートというわけにはいかない時代に、煙たがられながらも一軒一軒ノックして、聞き取り調査をしたのです。


当時、飲水とコレラを関連付けたのは、世界でスノウだけでした。

このエピソードからスノウ先生は疫学の父と呼ばれていますが、私はむしろ、行動経済学の父と呼びたいと思っています。


彼はまた、「麻酔科のパイオニア」としても知られています。

エリザベス女王の無痛分娩の麻酔を担当するなど、世界初のフリーランス麻酔科医として、知識と技術と交渉力で金のあるところからはふんだくり、その金で町から嫌われながらも公衆衛生のために尽くしたのです。誰よりも学問的に優れ、技術も高いのに、市井では知識をふりかざさずに、変人扱いされながら、黙って確実な介入を行なった。まさに私が目指す姿そのもので、最高の手本だと思っています。

まるで私が、麻酔管理と公衆衛生の共通点を発見したように書いてきましたが、実は160年以上前にスノウ先生が手本を示してくれていたのをなぞっているのです。

しかし井戸の柄を折った4年後に45歳という若さで命を落とすまで、誰もスノウを正当に評価しませんでした。早すぎる死はくりかえした麻酔薬の実験の影響ではないかとも噂されましたが、真実はわかっていません。彼が天才すぎたために、その死と同様、その主張は世界にとってはあまりにも早すぎたのです。

私は年女の48歳、スノウの亡くなった年齢をとうに超えてしまいました。早すぎた大先輩の意を継いで、今後も麻酔管理の視点を活かした、組織と従業員の健康と生産性向上のために、人生を捧げたいと思っています。


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