三連続書評です。 【「定年の壁」のこわし方】では私の名前を載せていただき、【「快眠力」を高める!】はまさに私の活動そのものがテーマな上、この二冊はご著者からのご献本でした。
今回の【パワハラ上司を科学する】(以下、本書)は自分で予約購入しました。
素晴らしい一冊ですので、ぜひ読んで下さい。もし、購読を迷っている方は、このコラムを読んでその気になってほしいですが、ネタバレありなので、ご注意ください。
産業医の神田橋先生は、30冊購入して、クライアント企業に配ったそうですが、まさに働く人すべて、特に経営者すべてに読んでいただきたい名著です。
さて、そもそも私は津野先生の激しいファンです。ストーカーとして通報されたくないので、その激しさを妄想にとどめていますが、津野先生の破綻のない理論とよどみなく流れる美しい発声と発音、時折こぼれるチャーミングな笑顔などなど、はっきり言って、「好き」以外の言葉が見つかりません。大好きです。
ともかく言うことが「妥当」。それは、私にとっての最大善です。
学会での発言はいつも的を射ていて優しさに溢れ、その質問で確実にどんな研究でも前進します。
いくら学会発表をしてもフロアからは質問ゼロ、座長からはこっぴどく叱られるのが定番というアカハラ常習被害者の私ですが、一度だけ、たまたま同じセッションで発表していたおかげか、津野先生からご質問をいただいたことがあります。
はじめに、「日本で当たり前に社会疫学を活かしたコンテクスチュアル・スタディに触れられるようになったことを嬉しく思います」というような表現で、一番、心に刺さる箇所を褒めていただき、回答できる上に研究がさらにブラッシュアップするような的確なご質問をいただいて、もう、ガチ感動でシビレました。
津野先生が質問するときはいつも、まず最初によい点を挙げて、そこから妥当かつ修正可能な指摘をしてくださるのです。天才でありながら、女神のような存在です。
本書最後の節である第5章の7【部下に耳の痛いことを伝えるにはどうしたらよいか】には、
周りに人がいない状態で行う
褒められる点・できている点を先に伝える
人格否定をせずに何をどうしてほしいのか伝える
と説明してあります。学会なので周りに人はいますが、【2】と【3】を質問時にも実行していらっしゃるのですね。
本書は、社会的に優位な立場になると横柄になる傾向に対して、【上司が持つ「横柄さ」「傲慢さ」を手放】し、【「部下と自分は対等な同僚だ」と認識する】ことが大切だと述べていますが、相手が部下であろうと、学会の演者であろうと、先に褒めた上で、人格否定をせずに、より職位の高い者や学識の深い者が、上流から下流に、適切な示唆を与えることは、素晴らしいですね。
ちなみにこのとき津野先生が発表中で推薦していた【Think CIVILITY「礼儀正しさ」こそ最強の生存戦略である】も名著中の名著で、当時、周囲に勧めまくったことをよく覚えています。
本書はまさに、【日本版 Think CIVILITY】と呼べるものでしょう。まだ読んでいない方は、先に日本版の【パワハラ上司を科学する】を読んでいただいた後で、ぜひ、【本家 Think CIVILITY】を、ご一読ください。
書評の前に、私の前のめりな個人的体験を共有しましたが、より適切に津野先生のお人柄と本書の魅力がわかる、こちらの自由大学のブログを、ぜひ、ご参照ください。
【誰でも再現可能な/明確な解決策を提示】
この本のステキなところは、タイトルのとおり、「パワハラ上司」を「科学的に分析している」ところです。
一見、当たり前のようですが、これまで、パワハラ上司を科学的に分析する切り口のハラスメント講習を受けたことはありますか? 私の知っているハラスメント講習は、「ハラスメントとはなにか」、「なにがハラスメントになるのか」、「 パワハラ防止法の解説」などが中心でした。厚生労働省の教材ですら、なぜか「うつ病とはどのような疾病か」なんていう脱線をする始末で、「ガチ・ハラスメントにしろ、ハラスメントらしきものにしろ、多少なりともハラスメント風味な言動が、企業内で自然発生する状況を打破する」ための戦略につながる情報提供は期待できませんでした。
津野先生は【おわりに】で、内外に蓄積された科学的根拠をもとに、だれでも再現可能な、「明確な解決策を提示すること」を特に意識したとふりかえっているとおり、本書には最も大切な「So WHAT?」があります。
「ハラスメントはよくない」なんてことは誰にでも分かります。
また、不十分なセミナーが、なんらかハラスメント風味のある行為を、ガチ・ハラスメントかそうでないかと分別する謎の尺度を与えると、むしろ「じゃあ、俺はセーフ」とほくそ笑んでしまう人々が生まれて、のさばります。
第3章【パワハラを引き起こす上司の三大リーダーシップ】で【4 放任型の上司】を解説して、津野先生も実体験として、【パワハラ防止のための研修が、むしろパワハラ上司を増やすいことにつながっていた可能性を知り、ショックを受けたことを覚えてい】るそうです。
被害者が決死の覚悟で告発した結果、加害者がセーフと微笑む状況こそ、最悪のホラーです。
セーフなのかどうかを知りたい時点で、そいつはまちがいなくクロです。
私は日本のパワハラ上司のうち、いわゆる傍若無人な専制型より、「俺は部下と関わらないからセーフ」と考える放任型のパワハラ上司のほうが、検出されにくいという点でタチが悪いと考えます。
決して傍若無人な専制型を良性と評価しているわけではありません。
本書によるとハラスメントをがん腫に例えることがあるそうですが、まさに悪性度と進行速度、治療の難易度は同じでも、診断の容易ながんと診断の困難ながんがあるように、顕在化の差による診断の遅れによって、放任型のパワハラは知らないうちに進行してしまいやすいだろうと考えるのです。
本書の第一章【パワハラとは何か】では、「改正労働施策総合推進法」や六類型の解説による【パワハラの定義と判断要件】と内外の調査結果による【パワハラの発生状況】を示して、第2章【誰がパワハラをしているのか】に進みます。
パワハラしやすい【邪悪な性格特性:ダークトライアド】などが説明されます。
【パワハラ行為者に「自ら気付いてもらう」という幻想を捨てる】
【これまでに相談者から一番多くされた質問は、「どうしたらパワハラをしている本人に気付いてもらえるか」】だそうですが、私も似たような相談や質問をよく受けます。
それどころか、明らかにハラスメントを被っているにもかかわらず、「自分が悪い」と否認したり、気が付かないふりをする傾向もよく見ます。
加害者には自ら気付いてほしいけれど、被害者は気付かないふりをするのは矛盾するようですが、これもがんなどの健康障害に似ています。
体調不良に気付いたら医療機関を受診して専門家に頼るのが一番ですが、悪い病気だったらどうしようと恐れる不安が強い人ほど、気付かないふりで受診を先延ばしにしてしまうように感じます。
津野先生は、ダークトライアドのような邪悪な性格のパワハラ行為者が、自分が他人に与えている痛みを認識して、自らマインドセットも行動も正反対に改善してハラスメントが終結する、というストーリーは【幻想】だと言い切ります。私もそう思います。
実際に、【過去二年間にパワハラで訴えられたことのある管理職19名を対象にインタビュー調査を行ったオーストラリアの研究では、なんと参加者の九割が「これまで誰に対してもパワハラをしたことがない」と回答してい】るって、【想像力が乏しい】とか、【無思慮】とかいうより、健忘とか痴呆とかのほうがピンとくるレベルです。2年以内に訴訟されてるんですよ?!バカなの?・・・って、バカなんです。
だからこそ、自ら悔い改めるなんて【幻想】なんです。
【ではどうすればいいのかと言うと、周囲が何らかの形で「それはパワハラである」「それは許されない行為である」と明確に指摘するしかありません。】
そのとおり、かつ、【周囲】というのは、単なる同僚では不足で、法人格を代理して経営者が明確に指摘しなければなりません。
また、明確に指摘する根拠となる成文化されたローカルルールがあり、指摘の内容も明確な文書に残す必要があります。
このとき、前述の第5章の7【部下に耳の痛いことを伝えるにはどうしたらよいか】の3ステップを守るのはもちろんですが、【三つの利点】も示されています。
パワハラの抑止力(「自分が損する」ことを気付かせて、損失回避)
行動改善のポジティブな動機付け(チャンスを与えて、期待されている、必要とされていると印象付ける)
不当な処分と訴えられるリスク低減(加害者に心の準備をさせる)
邪悪で自己愛の強い行為者は、善悪ではなく損得には敏感でしょうし、自分が期待されている、必要されていることを、しゃあしゃあと受け止める面の皮の厚さがあります。 企業の経営者もまた、似たように本人の気付きと反省、謝罪と自主的な改善という絵空事を期待して場を収めようとする傾向がありますが、このような経営者としてあるまじき姿勢こそがハラスメントを許す組織の元凶です。
もし、あなたの組織の経営者が、従業員のためにパワハラ行為者を戒められないならば、その組織は絶対に変わらないので、ハラスメントを回避するためには、その組織から逃げ出すしかないと思います。
第4章【なぜパワハラは起こるのか】の【1 個人的パワハラと構造的パワハラ】で書かれるように、個人的暴力はシステムの中に組み込まれていて、組織構造を改革しない限り、永遠にパワハラはなくなりません。
パワハラをなくす最大の障害は、ことなかれ主義の放任型経営者です。
自尊心の低い経営者はいないとぜひとも言い切りたいものですが、【自尊心が不安定に高い】経営者が実に多いです。
米国では1980年代に【「セルフ・エスティーム・ブーム」】が起きて自尊心がもてはやされたものの、【ロイ・F・バウメイスターが「高い自尊心の負の効果」を報告し、それに一石を投じた】ようですが、日本では「ブーム・なう」ではないでしょうか。
先日受験したキャリアカウンセラーの試験でも重視されていましたし、「自己肯定感」「自尊心」「セルフ・エスティーム」などと検索すると、たくさんの企業セミナーや自分磨きコンテンツがヒットします。
まさに自己愛が強く、内集団ひいきを行いそうな潜在的>顕在的自己愛経営者が、「当社の宝は従業員で、人材ではなく人財です」なんて言うのが想像できます。
宝が宝に理不尽な態度で接しても、「どっちも宝だから、目くじら立てずに仲良くやろうよ」とうやむやにごまかすことになるのでしょう。
【ソーシャル・キャピタルとパワハラ】
【ブラック企業ほど「社員は家族です」という標語を掲げると言われ】るのは、部外者を排除するリスクが表れているのだと津野先生は指摘し、それが、【「ソーシャル・キャピタルの負の側面(dark side of social capital)」】だと説明します。
心陽の用語集では、ソーシャル・キャピタルを「社会関係資本(Social Capital)」は、関係のネットワークそのもの、相互の「信頼」、持ちつ持たれつやWIN-WIN、三方よしなどの「互酬性の規範(Norm of Reciprocity)」、すなわち「絆(きずな)」を指す言葉 と説明しています。
心陽ではソーシャル・キャピタルが高ければ高いほど、すなわち絆が強ければ強いほどよい組織だと唱えています。
【ソーシャル・キャピタルは、ネットワークや規範、信頼などの社会組織の特性のことを指します。社会疫学や公衆衛生学の分野でよく使われている概念で、メンバー同士のつながりが強く、お互いを信頼しており、相互規範が共有されている時に、ソーシャル・キャピタルが高いと判断します。
ソーシャル・キャピタルが高いと、地域に様々な利益をもたらすとわかっています。代表的なのが「非公式な社会統制」や「集団効力感」です。】
津野先生は以上のように説明しています。社会疫学とは、「健康の社会的決定要因」についての疫学研究によって、「だれもが自然と健康になれる社会づくり」を目指す学問の一分野で、私が師と仰ぐイチロー・カワチ先生はその道の第一人者、津野先生は兄弟子に当たります。
【ほとんどの社員が電卓で計算している職場に、Excelの操作が得意な人が入社してきて「Excelのほうがミスもなくて速い」ことを上司に提案しても、「社員が混乱するから」と言って却下し、その社員にも電卓で計算させる】という例示は秀逸で、私は毎日こんな景色を眺めているようなものですが、やはりソーシャル・キャピタル推し人間としては、この企業のソーシャル・キャピタルが高いわけではなくて、愚かな判断をする上司と経営者が未熟だと思いたい本音があります。
とはいえ、ひとつの正解にこだわるのは失敗のもとですから、私自身教訓として、ソーシャル・キャピタルの負の側面を意識した上で、正の側面を選択していこうと肝に銘じました。
【パワハラが起こりやすい職場チェックリスト】
【人が集団である限り、差別や排除は必ず起きる】のは、残念だけれど、確かに真理なのだろうなと思います。
とはいえ、差別や排除から免れないコミュニティーがないというわけではありません。
がん腫の喩えのとおり、ヒトには必ず生命活動の中で異形細胞が生まれますが、それががん腫となって人生に影響するのは、一部です。そして、その場合にも根治できることがあります。
少なくとも自分の所属するコミュニティーにおいては、ましてや自分が統率するコミュニティーにおいては、ハラスメントの発生を予防し、その深刻化を抑止できるはずです。
本書にはその解決策が示されていますので、まずは読んでみてください。
パワハラが起こりやすい職場の条件を知り、その裏を行けばいいんです。
【二つ以上当てはまるものがあれば、パワハラが起きるリスクがある】 【五つ以上当てはまるとしたら、危険性がかなり高い】
仕事量が多いのに、裁量権が低い
上司や同僚に気軽に相談できない
明文化されていないルールが多い
長時間の労働が当たり前の職場である
従順さが求められる
従業員同士の団結力や連帯感が強い
職場のメンバーに多様性がない
役割葛藤や役割の曖昧さを感じることが多い
冗談やからかいが日常的に見られる
ハラスメントを容認する風土がある
体育会系の競技出身者が多い
感情を抑圧し、力を誇示することが求められる
上司や先輩の言うことは絶対だ
適切なローカルルールを設定する
本書では、震災の被災者、コロナ禍の医療従事者、日本で働く外国人、発達障害のある人などに例示される構造的ないじめの被害者が取り上げられました。
本来、同じ日本で働く仲間として、多様性を認め合いながら、それこそソーシャル・キャピタルを強めて、サポートするべき対象です。
とはいえ「多様性を認め合う」のは、簡単ではありません。
同質の人間同士なら、共通の文化、共通の価値観、共通の言語で話が進みますが、多様な人間が一つの集団で、それぞれの常識で許容できる範囲の節度を守り、不自由なく集団内の役割を果たすためには、集団内で通用する共通認識、すなわち、ローカルルールが必要です。
これは、津野先生の受け売りでもありますが、組織のハラスメント対策、心理社会的環境改善として、明確で簡潔な実行の容易なローカルルールを設定することが、なにより大事だと私は考えます。
【明文化されていないルール】ではいけません。明文化されていないと、それぞれが好きなように解釈して、むしろ混乱の種になります。
次回のコラムでは、心陽の考えるローカルルールについて、お話しようと思います。
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