玉手慎太郎先生著、筑摩選書、「公衆衛生の倫理学 ~国家は健康にどこまで介入すべきか~」
岩田健太郎先生が Facebook で紹介していたきっかけで読み始めましたが、すごく面白くて好きなのに、全然、読み進められない不思議な本でした。
私は素直に巻頭から読んだのですが、最後に読んだ「あとがき」が、みうらじゅん氏とか土屋賢二先生とかのエッセイを思わせる超絶楽しい語り口で、ここから読んで、玉手先生のキャラを知った上だったら、もっと痛快に読み進めたのではないかと思いました。
玉手先生、絶対、エッセイを書くべきです。ベストセラーになること、間違いなしです。
さらに最後の最後に玉手先生が1986年生まれの若者と知って、さらにびっくり、公衆衛生の倫理学を語るなんて、厳格そうなおじいちゃんに違いないと思ってたので、これも最初に知っていたら読み進めたかもと思いました。
多くの人々は、医者に自分の生活習慣を知られると、ガミガミ叱られると思っています。それでいて、健康になる方法みたいな情報を好むので、巷には有象無象のとんちんかん健康情報があふれています。
公衆衛生と医療の対比を、本書は以下のように説明します。
第一に、医療が通常、患者個人の健康を回復する営みであるのに対し、公衆衛生は市民全体の健康を対象とする。第二に、医療が基本的には怪我や疾病を得たのちに行われるものであるのに対して、公衆衛生は日常生活から、健康の維持を問題とし、怪我や病気を避けるためになされる。
私もよく公衆衛生と医療の対比を話題にしますし、公衆衛生の何たるかについては「健康になる技術大全」がわかりやすいと思いますが、公衆衛生が医療より複雑で難しいのは、市民全体の健康の維持という虫の目で見ると多様すぎる対象を扱うからです。
あらゆる日常の生活習慣において、その人にとってベストの選択が最も望ましいことは疑いようがなく、その人にとってのベストが人によって千差万別であることもまた真理の一つですから、結果として市民全体の健康を維持するという目的において、公衆衛生家が何を目指せばいいのかが、どんどんわからなくなります。
一方、医療というのは対象が個人なので、その人にとってのベストを希求できる点で、非常にシンプルです。もちろん個人単位でも生物学的にベストな治療にたいして、経済上や宗教上など、社会的な制約はありますが、最も守るべきものがたった一つの命であるという点で、話は早いことが多いです。そして、患者は病気を得てから、自分で医者を選択し、受診契約を結ぶわけで、明らかに患者には診療を受ける意思がある点で、公衆衛生家よりは医師のほうが心理的に楽です。
ちなみに産業医は医師資格が必要ですが、位置づけは公衆衛生家なので、産業医面談の場において従業員に心を開いてもらうために苦労することがあります。
本書によると、公衆衛生の倫理学は、医療倫理学の下位領域に位置づけられることが一般的なようです。医療は、文脈によっては犯罪になりえる外科的な処置や、同じく文脈によっては運命を左右するような神の領域的な部分を含むために、相当の倫理を必要とするイメージはありますが、特に日本の患者は医療に対してはパターナリズムを好むので、本書で一貫して論じられる自律性の尊重を主とする公衆衛生の倫理とは、ちょっと毛色が違うのかな、という気もします。
本書の終章で引用されるセン先生の「自由は手段」という考えが、公衆衛生家としての私の感覚には一番ぴったりくるな~と思いました。この終章のタイトルが「自由としての公衆衛生へ」なんですが、すばらしいので、こっちを副題にすればよかったのにな、と思いました。
毎度、私の書評はネタバレなしなので、あとがきから読むもよし、ぜひ、皆さん、ご自身で読んでいただければ、と思います。多様なメンバーからなる集団を相手にするとき、メンバーの自律性をどこまで、どのように、尊重するかという内容なので、管理職や経営者の方にとっても参考になる点が多いと思います。
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