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Yoko Ishida

快適な職場のための簡単なルール

適切なローカルルールを設定する

世界中が熱狂したWBCでは、国際的なイベントで毎回誇らしい話題になる日本人の礼儀正しさ、清潔さ、そして骨折をこらえてプレーする根性が称賛されました。今回はその東洋的な静の美徳だけでなく、日の丸を背負って大舞台に立っているからこそ、誰より楽しんで、盛り上がっていいんだよ、ということをみんなが分かち合えたように思います。


だからこそ、高校球児がペッパーミルのパフォーマンスを注意されたのは残念でしたよね。


職場においても本来、同じ日本で働く仲間は、多様性を認め合いながら、持ち前の強みを尊重しあい、楽しんで、盛り上がり、サポートし合うワンチーム、まさにソーシャル・キャピタルです。

ところが、前回のブログで紹介した【パワハラ上司を科学する】では、震災の被災者、コロナ禍の医療従事者、日本で働く外国人、発達障害のある人などに例示される構造的ないじめの被害者が取り上げられました。


なぜ、ステキなソーシャル・キャピタルが構築されるはずの場面で、こんなに残念なことが起きてしまうのでしょうか。


「多様性を認め合うのはステキなことさ」と誰もが思う割に、多様な人間が、多様な人間と、現実に「多様性を認め合う」のが、なかなか難しいからではないでしょうか。


私たちの多くは、高校球児が侍ジャパンやヌートバー選手に憧れて、国をあげての応援ムードに盛り上がってペッパーミルしたことが、高野連の声明にある「慎むべき不要なパフォーマンスやジェスチャー」だとは思いません。

【試合を楽しみたいという選手の気持ちは理解できますが、プレーで楽しんでほしいというのが当連盟の考え方です】と言いますが、試合を楽しむのと、プレーを楽しむのでは意味が異なるのか、プレーを楽しむためには、試合を楽しみたい気持ちを押し殺さなければいけないのか、腑に落ちないことばかりです。


それでも、もし、「高校生の公式試合のペッパーミルは禁止」と、誰が読んでも誤解しようのない表現で、かつ、誰にとっても納得のいく理由、その条項を定める妥当性を示した上で、事前に成文化し、試合前に通達してあったなら、複雑な野球のルールを完璧に覚えられる、野球に真摯な球児たちは、絶対にやらなかったでしょう。

前回、強調したとおり、【明文化されていないルール】ではいけません。明文化されていないと、それぞれが好きなように解釈して、むしろ混乱の種になります。


源田選手の勇敢な活躍と、「怪我をした状態での試合出場は禁止」というルールは矛盾しません。

源田選手本人が、くれぐれも故障した状態でプレーをしないよう、訴えています。

球児たちは誰一人、「源田選手はいいのに、どうして僕たちはダメなんだ」なんてごねたりしません。

そもそも、どうしてダメなのか、高野連でなくても説明できますよね。


今回は高野連への批判が目的ではなく、多様な人間によって快適な職場を形成するには、ローカルルールが必要だという提案です。

同質の人間同士なら、共通の文化、共通の価値観、共通の言語で話が進みますが、多様な人間が一つの集団で、それぞれの常識で許容できる範囲の節度を守り、不自由なく集団内の役割を果たすためには、集団内で通用する共通認識、すなわち、ローカルルールが必要です。


「慎むべき不要なパフォーマンスやジェスチャー」は多様な人間どころか、場面によって多様です。

高野連は、雄叫びとガッツポーズが不要なパフォーマンスでないことが証明されたこのタイミングで、これまでの見解を修正する勇気を見せてくれたら株が上がりましたね。

そうなんです、ローカルルールは大事ですが、良かれと思って設けたローカルルールの過不足は、机上と現実のギャップや時代による社会情勢やメンバー構成の変化などによって必ず出てきます。

ローカルルールのよいところは、上流の法令と違って、改定が容易なことです。

今はいらないな、足りないな、と思ったら、その場その場で変えていけばいいんです。


人はまちがいます。

だからこそ、間違いに気づいて修正することこそが、間違わないことより、組織の信頼を高めるのです。

ローカルルールの改定は、従業員の信頼を獲得し、組織の正義を固めるチャンスなのです。


これは、津野先生の受け売りでもありますが、組織のハラスメント対策、心理社会的環境改善として、明確で簡潔な実行の容易なローカルルールを設定することが、なにより大事だと私は考えます。



そもそも上流の法令にしろ、ローカルルールにしろ、悪行を取り締まるためにあるわけではなく、人々のウェルビーイングのためにあります。

よい暮らしのためには、当然、悪行や犯罪を取り締まるべき場面もありますが、むしろルールや制度は人々の暮らしを助け、経済的な、時間的な、身体的な、さまざまな負担を低減するために存在します。


職場のルールは、従業員同士が警察のフリをして不正を嗅ぎ回り、検挙し合うためにあるのではありません。

価値観の異なる者同士が、楽しく、快適に、同じ目的に向かうためにあるのです。


こちらは私がある企業に向けてローカルルールの明文化の重要性を説明した一部です。

「道具をきれいにする」では、「慎むべき不要なゼスチャー」同様、多様な従業員間での認識が多様です。


たとえば、「最上段は、背の高い人だけ!」という警告が図書室の書棚にあったとします。

「身長196cm、年齢32歳の日本人男性」を「背が高い」と表現して違和感を感じる人は少ないと思いますが、「背が高い人」だけでは、その人の身長がどれだけかわかりません。また、人間の身長は、年齢や性別や人種の影響を受けます。だからこそ、「背の高い人」などという曖昧な表現を避け、「身長170cm以上のスタッフのみ、最上段の書籍を取ってください。近くにいなければ、内線◯◯の石田まで、ご連絡ください」という表現が必要です。

間違っても、見えるところに脚立なんて置いてはいけません。

背が高くても書籍が落ちてくる危険はあるので注意しなければなりませんし、不自由な陳列に気づいているのなら、修理や最上段の閉鎖等の計画もなくてはいけません。

もちろん、ユニバーサルなデザインで、誰にとっても快適な職場を形成するのが理想ですが、現実的な解決策を示すのは大切です。いつまでには書棚の交換をします、などと表記しておくと、親切ですね。


ローカルルールについての講演は、よく行いますが、今回のペッパーミルのように、いつも話題に事欠かないので、つかみに不自由したことはありません(笑)

職場のローカルルール制定にお悩みがあれば、いつでも、ご相談ください。



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