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Yoko Ishida

第⑪位 ゲーテの警告 日本を揺るがすB層の正体

ゲーテの警告 日本を滅ぼす「B層」の正体


B層は「マスコミ報道に流されやすい『比較的』IQの低い人たち」で、この表現だと、いくらか悪口っぽいんですが、そうはいっても、まずマジョリティであり、内閣総理大臣より、財務官僚より、米国大統領より、ノーベル賞受賞者よりも、実際に日本を動かしている強い勢力です。

B層の人々に支持してもらえなければ、どんなによいアイデアでもリアルにならないという点で、非常に重要です。私の専門は公衆衛生で、病人や病気になるリスクの高い人だけではなく、その他の大勢の人に向けて発信し、もちろん病人やハイリスクの人々も得をするようなサービスを提供することです。

公衆衛生家は集団の管理者に働きかけるので、政府とか、経営層とかが相手で、決定権のある人々の納得を得るために科学的エビデンスとか、実現可能性とか、そのサービスを取り入れる妥当性をあの手この手でアピールします。

管理者はB層であったりなかったりするでしょうが、どの集団でもB層は大勢を占めるので、B層の人々の声が「やってやって!」「買って買って!」と大きくなることは、管理者が首を縦に振る、おおきなきっかけです。


ポピュレーションアプローチは、B層の「システム1」(ダニエル・カーネマン氏のdual-system)に働きかけるアプローチと言えそうです。

B層に支持されると書きましたが、B層には伝えるだけでいいんです。 B層のすばらしく素直で美しい特徴は、知ったことはほぼ支持するということです。

現在の体制への肯定を伝えれば共鳴して肯定し、批判すれば同様に批判します。 そこに理由や批判対象の問題解決のための対策案が明示されている必要はありません。 伝えるだけでいいんです。魔法みたいです。妥当性やエビデンスは不要です。


A層やC層の人々にはすでに知識や意見がありますから、提案をしても保留されたり拒否されたりする可能性があり、困難な折伏を経なければ支持には至らない可能性があります。 もちろん、その過程で案を修正したり、修飾したりすることが、仕事の充実につながることが多くあり、すべての学問の発展も、そういった繰り返しの中にあるといえるでしょう。

ところがB層の人は聞こえた情報をすべて、事実やエビデンスとして盲信できます。

これまでの自分の主張と異なっても、信頼できるA層からの託宣ならすんなり受け入れてしまいます。

この素直さは脳の特性とよく似ていると感じます。

そして脳の様々な特性、情報のミスリードの仕方、後解釈、多くのバイアスなどのすべてが、B層全体の性質に合致しており、この本でB層という単語をすべて脳や意識に置き換えてもすんなり意味が通るほどです。

頭の良さをIQではなく脳とのシンクロニシティで定義すれば、もっとも頭のいい集団はB層ということになりそうです。


活動的な馬鹿より恐ろしいものはない


とくに政治家がB層を標的にしたキャンペーンをくりひろげるのを忌々しく感じていた時期が私にもあります。

また、親しい家族や友人がやすやすとその作戦に乗せられ、洗脳、煽情されているさまを見て、苦々しく思ったこともあります。

なぜ、「バカ」扱いされて腹が立たないのか不思議で、その疑問を口にすると、とたんに「嫌な奴」にされてしまい、誰も私の言うことを聴かなくなります。


そうなると、どんなに正しく素晴らしい意見を持っていても無駄です。


もし、多くの人を健康に、幸せに、パフォーマンスマックスにしたいのなら、ともかくB層にわかってもらうしかありません。

さて、そういう私は何層でしょうか。

この本を紹介してくれた友人は私をC層だと言いましたが、自分ではよくわかりません。


ただ、B層に訴えかける、B層の心をつかむことができなければ、どんなに高いIQや高邁な理想を持っていても無用なことは間違いなさそうです。


結局、世界を、時代を作るのはB層です。


44p.にあるように、B層を「上から目線」で非難するのは、無意味であり見当違いです。

この本はゲーテの美しい警告を引用しながら、私たちに自分たちの外にいるB層ではなく、自分を司る脳そのものとの付き合い方を教えてくれます。


私たちは自分の上にあるものを認めないことで自由になるのではない。 自分の上にあるものに敬意を払うことにより、自由になるのだ。

私たちは、すでに知っており理解しているものだけを見るのである。 しかし、毎日目の前にあるもので、永の年月見逃しているものが、私たちの知識や教養が深まっていくと初めて認識されるということがよくあるものである。 つまり、私たちの最も大切な目標から私たちを切り離しているものが、紙一枚の隔壁に過ぎないことがあるのだ。


私たちは大胆にこれをつき破ればいいのだ。


今こそゲーテの言葉を借りれば、弱弱しくて病的で虚弱なロマンティシズムではなく、 力強く、新鮮で、明るく、健康な社会を目指すときです。


B層社会では理念が求められます。

理念がない政治家は非難されます。

こどもたちは「理念を持て」と教育されます。

経営者には「哲学」が求められます


B層は日本を滅ぼす悪の集団でも、腹黒いA層のカモになった被害者集団でもなく、すごく素直な集団なのだと思います。


ありのままである能力が多層よりも優れていることを嫉妬されても受け入れ、サイズの合わない服を着るように嘘を身にまとっても甘んじて耐え、むしろそこに幸せを見出そうとする、実はポテンシャルのすごく高い、出しゃばらない人々なのかもしれません。

教養の美しさを、B層に知らせないように独占してきた勢力があるのかもしれません。

教養と理念という相反するものをあえてごっちゃにして、理念を強制される過程を教養と名付けて、B層を誘導している勢力があるのかもしれません。


この本は非常に簡単にわかりやすく押し付ける側と押し付けられる側の構造を教えてくれ、受け手の投げやりと無教養を叱ってくれます。

行きつく先はどんな場合も一緒ですが、ハッピーな社会、そしてハッピーな私を作るために、まずは自分を愛すること、自分に責任を取ること、つまりセルフケアからはじめてはいかがでしょうか。

自由と責任は必ず同時に発生することで、ありのままにいるのに理念は不要でも教養は必要です。

B層の私たちは、柔軟性という素晴らしい武器を自分で気づかなくても必ず有しているし、ともかくめちゃくちゃ素直なキャラクターです。

B層の心理を慮るのは、思いやりの簡単な導入になります。


ぜひ、ご一読ください。

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